第14集

誰かにとつての「便利」

 寢ながらPCの操作ができる裝置を發明した、といふニュースが載つてをり、私は「下らない」と判斷して、少し心に殘りつつも健康な人間の贅澤な惱みだ、と見逃した。しかしながら後で考へてみると——それつて、例へば「寢たきり」の人とかにとつてみれば、夢のやうな話だよな、と。私ら健康な人間にとつてみれば過ぎた話ではあるが、身體が不自由な者にとつてみれば、夢のやうな話。ああ、“發想”も、活かし方次第、見る者次第だな、と思つた。……かうして私は今「氣附」いたが、きつとこれまでにも「下らない」と切捨ててきたアイディアの中にも、特定の人を救ふであらうアイディアもあつたのだらうな、と思ふと悲しくもつたいないと感じる。かういふ時にこそ「擴がれ」と、必要としてゐる人々に屆けばと、思ふのだが、それが中々傳はらない。埋まつてゐる。

 必要な人々に屆ける事ですら難しく、それ以前に、誰が必要としてゐるかさへ分らないアイディア——寂しい。“リンク”せよ、繫がれよ。

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公開:2022年5月8日

初出:2019年3月23日

著:絲

適用:CC0[著作權抛棄]

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