小說(2018年作)

山羊座みたいな男

公開:2022年5月8日

初版:2018年12月15日

著:絲

適用:CC0[著作權抛棄]

附錄:『山羊座みたいな男』後書

注意事項

本文

 山羊座みたいな男が食ひたいと思つた、とどのつまり、仕事一邊倒で、女に興味なささうな男を。

 さういふ男を見附けるにはどうすればいいか。とりあへず私は、出會ひ系サイトにログインした。こんなものをいぢるより——その山羊座男のイメージとしては、上品で讀書ができさうなバーとか、そんなのにゐさうだつたけれど、あいにくと私は酒には緣がないし、通ひ詰める金さへ持つてゐなかつたので、いつも通り出會ひ系に賴ることにした。家から出ることもなく、金も掛けずに男が漁れるんだから、良い世の中になつたものだ。……

 會社員、未婚、三十代、週末デート。何人かにコンタクトを取つたが、大半はやる氣滿々な男ばかりで、イメージとは程遠い。この……下心丸出しの文。慾望に素直な男は好きだ、でも、今囘やるのは口說きゲームなわけで、かうも簡單に釣れてしまつては面白くもない。落著いた文面の男もゐたが、附合ひに愼重な男は大抵「誠實」「戀人募集」で、|端《はな》から私の|範疇《はんちう》にない。さうして條件から好みまで、殆どがリストから零れ落ちていき、三箇月で逢へたのは三人だつた。うち一人は逢つた直後から體を求めてきたので、交通費を握らせて、さつさと歸らせた——何が“大人の附合ひ”だ。

 四箇月目に入ると——やつと來た、ぴつたりな男が。太陽星座が山羊座で、火星星座も山羊座の男だつた。私が出社するときと同じ恰好——ぴしつとした白シャツに、|炭色《チャコール》のジャケットとタイトスカート、ベージュのストッキング、黑いパンプスに黑いハンドバッグ——でいくと、相手もまたぴしつとしたスーツを著込んでやつて來た。“イメージ通りだ”——寫眞の方がまだイケメンといふ感じはしたが、それでも「詐欺」だなんだとケチをつけるレベルではない。

「こんばんは」

 ネットで出會つてゐるのに“はじめまして”と言ふのもをかしい氣がして、私はいつも適當な挨拶から始めてゐる。

「初めまして。|高坂《たかさか》です」

「|秋ノ下未世《あきのしたみよ》です」

 私は忘れてしまつたと詫びて、彼から名刺を受取つた。

 彼の下の名前は|晃代《あきよ》といつた、私の名前に少なからず掛つてをり、これにも緣を覺えた。

「行きませうか」

「ええ」

 二人同時に、步き出す。パンプスのコツコツといふ音と、革靴のタッタといふ音が、步調に合せて響く。糞眞面目に著込んだ私たちは、仕事歸りの會社員そのものだつた。

 私たちは高層ホテルの一階にあるレストランに入つた。事前の打合せでは、どこどこのレストランにしようと思つてゐるがいいか、といふ提案があつて、私が「構ひません」と返事しただけだつた。ちやんとどういふ所か調べておけば良かつた——かう品のある「レストラン」で食事したのも數へるほどしかない。

 ブー。席に著くなり、高坂のスマホが震へた。

「すまない」

 彼は素早く席を外し、ロビーで話し始めた。その間に前菜が運ばれてきた。オレンジがかつたスープに、刻んだ葉野菜が浮いてゐる。なんだらう? ミネストローネ? ウェイターが名前を言つてゐた氣がするが、よく聞取れなかつた。默つてスープの味をあれこれ想像してゐると、彼が戾つてきた。

「お仕事ですか? 大變ですね」

「いや……待たせてしまつて申し譯無い」

「構ひませんよ」

 視線を交はすのもそこそこに、彼がスプーンを取つたので、私もスプーンを取つた。

「その……前にも言つたんですけど、私、マナーが……」

「氣にしなくていいよ。私も商談でなければ、こんな店は利用しないから」

“これは商談ではないけれど……、”彼が小さく添へた。

「ええ。デートするにも最高のロケーションだと思ひます」

「さうかね」

 靜かに前菜を平らげると、それに合せたやうに、メインディッシュがやつてきた。

 ステーキだつた。掌ほどの肉がきれいに切分けられ、燒き加減はちよつと生つぽい感じ……、何と言つたつけ……、脇に野菜とディップが添へられてゐた。私たちは揃つて白いエプロンをつけて……笑つてしまひさうになり、こらへる。別にをかしくもないが——眞面目すぎると、いや、普段してもゐないことをするつて、こんなにをかしいんだ。

 彼がフォークで肉を突刺すのを見てから、私もそれに倣ふ——まるで毒見をさせてゐるやうだ。

「秋ノ下さんは……出版社の總務なんですよね」

 彼には派遣社員だと言つてゐない。出版社といつても小さい會社だし、業務も、總務と呼べるものでは——

「未世でいいですよ。それに、仕事の話はよしませうよ。私たち、遊びにきてるんだから。ね?」

 彼の|募集要項《プロフィール》には、「趣味友逹」「遊び相手」「セックスフレンド」にチェックが入つてゐて——そんな話、興味はないはずだ。變な女に|體《み》を預けたくないといふのも分るし、話の合ふ相手とセックスするのは樂しい、それも分る。でも仕事の話はだめ……

「大學時代は、フットボール、でしたよね。今はなにかやつてらつしやるんですか?」

「いえ……、ジムに通つてる已外には、なにも」

「へー、ジム通つてるんだ。ふふ、男の人つて、體鍛へたがりますよね。健康的でいいですけれど」

「未世さんは……なにか?」

「あたしはなにも——食つて、寢るだけです!」

 ちよつとまづかつたかな、と思つたが、もう、どうでもよい。等身大の男に觸れるにつれ、理想との|乖離《くわいり》がどうでもよくなつてきた。とりあへず今日はセックスしてくれるのだから、それでよい。よいのか? もう一度男を、晃代を見る。靑つぽい口元がどことなくセクシーで、よかつた。しかしこんな眞面目風な男が、私のやうな女と寢てくれるかどうか? 第一、今日初めて逢つたばかりなのだ——いや、いい、今夜はこれでよい。所詮私に、お高くとまつた演技など、できはしないのだ。媚を賣つても腹が立つだけ、棄てられたらそれまで、今までと同じ。|等身大《そのまま》で勝負する。

「お肉、これで足りますか? 私だつたら、二枚、いや三枚いけさう」

「……、さう、ですか? 追加しますか?」

「いやだわ、冗談よ、冗談ぢやないけど」

 彼は私を見た。「ここが食べ放題、ファミレスなんかだつたらそれもいいんですけどね。メロンソーダなんか賴んぢやつて」

「未世さん……、あなた、醉つてるんです?」

「さう見えます?

 大體、お酒がまだ來てゐないぢやない」

「……さうだ。きみ」

 彼はウェイターを呼止め、ワインを持つてこさせた。

「乾杯しませう」

 彼は言つた。

「私たちの出會ひに?」

「出會ひに」

 ワインは苦かつた。がんばつてグラスを空にすると、途端に彼が注がうとしたので、手で制した。

「お氣に召しませんでした?」

「私、アルコールだめなのよ。一應、プロフィールには飮めるつて書いてるけど、それも甘いのでないとだめ」

「すみません、配慮が足りなかつた」

「いいのよ。酒の好みは、書いてなかつた」

 私は自分のペースに醉つてゐる。

「……自宅でこつそりしてゐることはあるの?」

「え?」

「趣味はないかつて聞いてるの、プロフィールに書いてないね」

 彼は考へる素振りをした。仕事が趣味だといふならそれでもいいが、この男は|仕事中毒《ワーカホリック》といふ風でもなかつた。

 私は自分から明かすことにした。

「私、小說を書いてゐるの」

「……小說、ですか」

 一億總メディア時代、三十代會社員が小說を書いてゐたとしても、なんら不思議ではない。問題は【どこまで】關心があるか、といふことだ。

「本當ですか。賞に應募でもしてゐるんですか」

「それどころか、出版してゐるの」

「え」

「電子書籍だけどね」

「ああ……。

 私が見ても?」

「勿論よ。そのために公開してゐるんだもの」

 彼はスマホを取出した。

「|秋下美代《あきしたみよ》よ」

 私は囁いた。

 ディスプレイの光が彼の瞳に反射する。ストアの畫面を開き、筆名を入力すると、ずらつと關聯書籍が表示された。ちよつと行儀が惡かつたが、私は身を乘出して言つた。「これよ」指を突出し、タッチする。商品ページが、讀込まれる——

 その表題と表紙に、彼の|表情《かほ》がぎこちなく動いた。

「……」

「驚いた? かういふのは、嫌ひかしら」

「いいえ……いや……」

「讀む氣が起きない? ぢやあサイトにあげてる奴を讀めばいいわ。多少趣旨が違ふから。そしたらあなたも、ちよつとは見直してくれるかも」

 私はサイトのアドレスを傳へ、彼は後で檢討しますと言つて、スマホを閉ぢた。

「素人でも稼げるジャンルつて、やつぱり十八禁なのよね」

 結局|裸《エロ》が、高く賣れる。

 彼は顏をしかめたまま、赤いワインを|呷《あふ》つた。

「僕がよく讀むのは……、純文學です」

「純文學」

「なにがをかしいんですか」

「何も。ただ、純文學つて、ジャンルが明確ぢやないぢやない。とどのつまり、複雜な人間關係が描かれてるつていふなら、あたしの小說だつて、それに入るかもしれない」

「それはない」

「どうして?」

「ポルノはあくまで、性描寫に主眼を置いたものです。純文學は、人間の……人生の苦痛や混沌に重きを置いたものです」

「心理描寫に重きを置いてるポルノだつて、あるわよ」

「ポルノはポルノです。性の……、捌け口だ」

「純文學だつてポルノだと思ふけどね」

 何らかのプロパカンダ、もしそれが何らかの情を煽り立てるものなら、全部ポルノだ。でもそんなこと語るのも面倒臭くて、紡がなかつた。行間の讀める讀書家なら、これ已上の言葉は要らない。

「あなたはなにを書くの?」

「……僕は、なにも書きません」

「なにも? ほんとに?」

「……ほんとに」

「隱してるだけなんぢやないの?」

「……自慰なんて、誰にも見せないでせう? ……」

「でもそれが誰かの自慰の助けになるなら、いいんぢやないかしら」

「あなたは、さういふつもりで、書いてるんですか」

「樂しいから書いてるの。でも、消すのはもつたいないし、自分の書いたものがどう讀まれてるのか知るのは、面白いとは思ふわ。思はない?」

「思ひません」

「ふーん。……それがほんとだとは思はない。あなたは隱してる」

 まるで祕密の性癖みたいに。實際書くこと、表現することつて性癖だ、さうせざるを得ないのだ。祕匿することで生れる絆もある、でもそんなもの、少しだけで良い、この男は混同してゐる、性癖は自分自身でないのだ、あくまで自分から搾り出した——

「作品はあなたそのものではないのよ」

「でも人々は、私を判斷するでせう」

「それはさ、何でもさうでせう」

 私はスマホを指差した。

 ナプキンを取つて、口を拭ふ。「行きませう」

「どこへ?」

「部屋に決つてるでしよ——取つてあるんでしよ?」

「……、あなたは、恥ぢらひがない」

「恥ぢらひ? セックスを遠慮するつてこと?」

 彼は聲を潛めながら、「私たちは初めて逢つたんですよ」

「だから? あなた、セフレ希望なんでせう」

「すぐ……なわけではなくて……、勘辨して下さい、全く、だから厭だつたんだ……、僕はああいふ|サイト《ところ》、慣れてゐないから、あなたみたいに輕い人とは……附合ふつもりないんです」

 ああそれ、私も思つてゐる、けれど、セックスするかどうかで判斷して欲しくないね。興味があるか、ないか、それだけなんだ。人間關係つて、そんなものぢやないの、興味があるだけましなんぢやないの。

 エレベーターの鏡面に映つた私たちは、さながら不倫關係の同僚のやうだつた。何ならラヴホテルの方が良かつたか、と思つたが、彼が何も言はなかつたので、そのまま——さう、あなたみたいに輕い人、と罵りながらも、きちつと部屋まで取つてゐたのだから、ほんと、男つて。でも山羊座の男つてむつつりスケベださうだから、案外、そんなものかもしれない。——あ、さう、山羊座の男だつたな、と思ひ出す。

 部屋に入ると、私はすぐシャワーを獎めた。スーツがしわになるから、とか何とか言つて。彼は二人きりになつても、|霸氣《はき》の無い顏をしてゐた。本當にやる氣がないんだらうか? しかし、肝腎のものが役に立たなかつたとしても、私は彼に樂しませてもらふ氣でゐた。

 ベッドでぼーつとしてゐたら、彼が出てきた。バスローブは羽織らずに、タオルで股間だけ隱してゐる。ジムで鍛へてゐると言つた通り、はつきりと浮び上つた胸板や腹筋があつた。

「良い體してるわね」

 シャツのボタンを外しながら……「逃げないでね」

「逃げませんよ。ここまで來たら……」

 私が浴室からあがると、彼はベッドに橫たはり、本を讀んでゐた。

「純文學?」

「……」

 サイドテーブルにはスマホが伏せられてゐる。

 私は輕く髮を乾かして、彼に倣つてタオルを體に卷附け、ベッドに滑り込んだ。

「……あなたが小說に書いてゐることつて、全部本當にあつたことなんですか」

「野暮なこと聞かないでよ」

 私は彼の唇にキスをした。薄くて柔らかくて、女の子の唇みたいだつた。

 首筋に顏を埋めながら、私は氣になる部分について、笑つた。

 ——まだ一時だつた。二人して餘韻に浸つてゐた——といつても、私は滿足してゐなかつたが。すべきこともしてゐなかつた。しかしながらよく仕へてくれたと思ふ——望んでもゐないセックスにしては。

「どこまで書くんですか。……僕のこと」

 枕の位置を直してゐると、彼が言つた。

「“にんじんみたい”つてこと? いやね、今夜のことなんて、平凡すぎて書けないわ」

「平凡? ……」

「でもどんなに書き古された夜も、世の男性諸君は、知りたがるの。ああ、私、どれだけ似たやうな夜を書いたかしら」

「書かないで下さい、僕のこと、」

「何もありのまま書かうつていふんぢやないのよ? 脚色するわ。でも、私と寢た男つていふのは、自意識過剩にも、自分と寢た夜のことだと思つてるの。笑へるでせう? ……」

 實際に私はけらけらと笑つた。をかしかつた。ほんとに。皆が怯えてゐる、私に書かれること、自分が|發《あば》かれてしまふこと、公となつてしまふことに。

「約束はできないわ、だつて、あなたも書いてるなら分るだらうけど、私が見聞きしたこと、全部私のエッセンスになるんだもの。一々その元があなたかどうかなんて、知れないわ」

「……」

 彼は起上り、呆然としてゐた。その通りだと思つてゐるのかもしれないし、どう釘を刺せるか考へてゐるのかもしれない。しかし|藝者《ひと》の口に戶は建てられない、これも本當に。

 私は彼の濕つた背中を撫でながら、言つた。

「ぢやあ、あなたが私を書いたら」

「え?」

「あなたが書いたら。今夜のこと」

「そんな……、無理ですよ、といふか、書きたくありません」

「どうして? 恥づかしいから?」

「書くことに意味が無いからです」

「執筆の練習だと思つてやりなさいよ、騙されたと思つて。あなた、日記をつけたことがないの?」

「練習ならもつと良いことを書きますよ」

「……純文學つてのは、人生の苦惱と、混沌を書くんぢやなかつたつけ?」

 私は笑つた。彼は|俯《うつむ》いた。私の書いてきたものは私の傷も孕んでゐる、確かに書くのは氣分が惡かつたが、それも「作品」として一應の完結を見ると、寧ろ晴れやかな、一番の誇りになつた。私が最初に書籍化した——秋下美代の處女作は、初めての戀愛關係について書いたものだつた。さうだ。今となつては靑臭く感じる部分もあるが、私の代表作には變らず、曝け出すことの原點は、いつでもそこにあるのだ。

「題材にするには、あまりにも下劣でつまらなすぎる」

「ええ、出會ひ系で出會つた男女が、會話もそこそこに、セックスするだけだもの。もし物語が發展するとしたら、その先だものね。まあ、ポルノとしちや充分なシナリオだけど。

 でも、それを面白くするのが、作家の|腕の見せ所《しごと》なんぢやないの」

 彼はふはりと、ベッドに倒れた。私に背を向け、膝を抱へてゐる。

「ねえ、あなたはどんなもの書いてるの。見せてよ」

「もうやめませうよ、書き物の話なんて……」

「あなたが振つたのに」

「僕は、このありのままの夜を、書かないで下さい、とお願ひしたんです」

「はいはい。なるべくさうするわ、なるべくね」

 どうせあんたのことなんて誰も氣にしやしない、私が大物になつたとしても、|一時《いつとき》の笑ひ|種《ぐさ》。私の物語を通り過ぎていつた男たち、今頃何をしてるだらう、思考にぼんやりかすめる。きつとかはいい女を腕に抱いてゐるだらう、この時間なら。何度も經驗した夜が私のものになつて、私は作品が增える度に滿たされて、その一つ一つに、どんな夜がこめられてゐるか、思ひ出すことができる——いや、細かい部分の|描寫《こと》なんて、忘れちやつてるけど。私の「エッセンス」といふのは、現實——記憶の再現ではなく、ぼんやりと腦に見える虛構を再現するための、道具箱だ。男たちは生きてすらゐない、私が作家だと知つた途端に裸足で逃げてく男たち、臆病者。たまに「俺のことを書いてくれ」なんて男もゐるが、さういふのに限つて平凡な、滅茶苦茶なセックスをしていく、書けといふならお前が書いてみろ、自分自身を。自分の中に眠る雄を。自分のすがたを實直に表現できてこそ眞にすぐれた雄、つまりは〈英雄〉だ——そして英雄は、何も男でなくてもいい。

「おやすみよ。晃代さん」

 さういへば初めて名を口にした、この人はいくらか呼んでくれたのに。もちつと呼べば良かつたな、と思ふ。もしこれから緣があるなら、積極的に呼んでやらう。私はついあんたとかあなたとか呼んでしまふ、長く續いた附合ひが無いからか。

「僕が書いてゐるのは、ファンタジーなんです」

「ああ」讀んでゐるものが、書いてゐるものとは限らない——

「御姬樣の婿探しがメインテーマなんですけど……、をかしいでせうか?」

「なんで? 面白さうぢやない?」

「同ジャンルだと書いてゐるのは女性ばつかりで……」

「ばつかねえ。そんなこと、氣にしてゐるの」

「いや……」

「いいぢやない、その婿候補、男のあんたから見たらどうなのか、是非讀ませてよ」

「でも主人公は女性なんですよ。僕の『視點』なんて……」

「そんなことどうでもいいぢやない、要は話が面白いか、あなたが書いてゐて面白いかなのよ、晃代さん」

「……さうですね、さうかもしれません……」

「……さうねえ、いいこと考へた、あなた、私と一緖に書きませうよ、同じテーマで。で、見せつこするの。きつと面白いわ」

「ええッ」

「期限は……、さうねえ、一箇月にしましよ。短篇か長篇か知らないけど、ちよろつと見せてくれるだけでいいわ。私は讀切りが得意だから、あなたにはちやんとした作品を讀ませられると、約束するわ」

「でも大變ぢやないんですか、あなたには新刋があるし、」

「いやね、常にネタがあるわけでもないのよ、私は今書きたいものを書くの。それとも、あの夜のこと、書かせてくれるのかしら」

「……」

「とにかく約束よ、書きなさい、いま、すぐ」

 それで話は終つた。

 彼はサイトの小說を讀んでくれたやうだ、電子書籍も、一册だけ。感想をサイトのメールフォームからくれた。豫想通り、思ひの|外《ほか》酷いものではなかつた、心理描寫が緻密で參考になつた、といふことが書かれてゐた。やはり讀者から感想をもらへると嬉しいが、とくに書き物をしてゐる人間——それも知つてゐる人間から感想がくると、悅びも|一入《ひとしほ》だつた。その實、私が讀んで欲しかつたのは、私の糧になつてくれた男たちかもしれなかつた。素材になつた男に讀ませたいなんてをかしいだらうか、それも時折こつぴどく描寫してゐる相手に。まあ、私は氣にしない、あれは彼らであつて、彼らでないから。だからこそ彼らは感想をくれるのだし、私はまだ彼らを愛せるのだらう。さう、愛してゐる。ともすると、小說とは熱烈なラヴレターなのだ。

 私は動畫を開いてゐたタブを閉ぢ、テキストエディタを起動した。宛名はいつも同じ、「小說.txt」。バックではダブルステップがビートを刻んでゐる。

 さーて、何から書かうか。まづ私は「御姬樣」を夢想し、いきなり彼女が、男の【上】にゐるところを想像した……、さうだ、この御姬樣は裏切りの執政とできてゐて、結婚しろと迫られてゐるんだ。つまり婿探しはポーズだけで、表では隣國の美男子らと|微笑《たの》しく|談笑《おちや》をしてゐるが、裏では四十も過ぎたをつさんに|汗《はぢ》を搔かされてゐるんだ……、ちよつと御姬樣にはかはいさうだが、さういふ話を思ひ附いた。彼は、晃代は|倦厭《けんえん》しさうではあるが、私にはかういふ話しか書けないのだ。よし、これで書かう。私はいつも、|科白《せりふ》から書く。そして全體像が浮び上る……、

「はあ。高貴な王子樣方にはあなたの眞のお姿を知つて頂いて、それでも『世話したい』とおつしやられるのでしたら——これはもう他にない良緣といふこと、違ひますか?」

「あ、あなたのやることは實に、實に卑劣極まりない、仕打ち……」

「しかしながら、誠の性質といふものを僞つて婿入りさせるのは、どういつた心持でせう?」

「わた、わたくしはこんなこと……ぐう……」

 そろそろバケツがいつぱいに……

📚 gemini://sinumade.pollux.casa/kimitin/2018/6.gmi