山羊座みたいな男
公開:2022年5月8日
注意事項
- 成人対象 — 二十歳以上の読者を対象とする
- 小説(フィクション) — 実在の事柄とは関はり無し、描写中の行為を奨めるもので無し
- 性描写 — 性行為の描写を含む
本文
山羊座みたいな男が食ひたいと思つた、とどのつまり、仕事一邊倒で、女に興味なささうな男を。
さういふ男を見附けるにはどうすればいいか。とりあへず私は、出會ひ系サイトにログインした。こんなものをいぢるより——その山羊座男のイメージとしては、上品で讀書ができさうなバーとか、そんなのにゐさうだつたけれど、あいにくと私は酒には緣がないし、通ひ詰める金さへ持つてゐなかつたので、いつも通り出會ひ系に賴ることにした。家から出ることもなく、金も掛けずに男が漁れるんだから、良い世の中になつたものだ。……
會社員、未婚、三十代、週末デート。何人かにコンタクトを取つたが、大半はやる氣滿々な男ばかりで、イメージとは程遠い。この……下心丸出しの文。慾望に素直な男は好きだ、でも、今囘やるのは口說きゲームなわけで、かうも簡單に釣れてしまつては面白くもない。落著いた文面の男もゐたが、附合ひに愼重な男は大抵「誠實」「戀人募集」で、|端《はな》から私の|範疇《はんちう》にない。さうして條件から好みまで、殆どがリストから零れ落ちていき、三箇月で逢へたのは三人だつた。うち一人は逢つた直後から體を求めてきたので、交通費を握らせて、さつさと歸らせた——何が“大人の附合ひ”だ。
四箇月目に入ると——やつと來た、ぴつたりな男が。太陽星座が山羊座で、火星星座も山羊座の男だつた。私が出社するときと同じ恰好——ぴしつとした白シャツに、|炭色《チャコール》のジャケットとタイトスカート、ベージュのストッキング、黑いパンプスに黑いハンドバッグ——でいくと、相手もまたぴしつとしたスーツを著込んでやつて來た。“イメージ通りだ”——寫眞の方がまだイケメンといふ感じはしたが、それでも「詐欺」だなんだとケチをつけるレベルではない。
「こんばんは」
ネットで出會つてゐるのに“はじめまして”と言ふのもをかしい氣がして、私はいつも適當な挨拶から始めてゐる。
「初めまして。|高坂《たかさか》です」
「|秋ノ下未世《あきのしたみよ》です」
私は忘れてしまつたと詫びて、彼から名刺を受取つた。
彼の下の名前は|晃代《あきよ》といつた、私の名前に少なからず掛つてをり、これにも緣を覺えた。
「行きませうか」
「ええ」
二人同時に、步き出す。パンプスのコツコツといふ音と、革靴のタッタといふ音が、步調に合せて響く。糞眞面目に著込んだ私たちは、仕事歸りの會社員そのものだつた。
私たちは高層ホテルの一階にあるレストランに入つた。事前の打合せでは、どこどこのレストランにしようと思つてゐるがいいか、といふ提案があつて、私が「構ひません」と返事しただけだつた。ちやんとどういふ所か調べておけば良かつた——かう品のある「レストラン」で食事したのも數へるほどしかない。
ブー。席に著くなり、高坂のスマホが震へた。
「すまない」
彼は素早く席を外し、ロビーで話し始めた。その間に前菜が運ばれてきた。オレンジがかつたスープに、刻んだ葉野菜が浮いてゐる。なんだらう? ミネストローネ? ウェイターが名前を言つてゐた氣がするが、よく聞取れなかつた。默つてスープの味をあれこれ想像してゐると、彼が戾つてきた。
「お仕事ですか? 大變ですね」
「いや……待たせてしまつて申し譯無い」
「構ひませんよ」
視線を交はすのもそこそこに、彼がスプーンを取つたので、私もスプーンを取つた。
「その……前にも言つたんですけど、私、マナーが……」
「氣にしなくていいよ。私も商談でなければ、こんな店は利用しないから」
“これは商談ではないけれど……、”彼が小さく添へた。
「ええ。デートするにも最高のロケーションだと思ひます」
「さうかね」
靜かに前菜を平らげると、それに合せたやうに、メインディッシュがやつてきた。
ステーキだつた。掌ほどの肉がきれいに切分けられ、燒き加減はちよつと生つぽい感じ……、何と言つたつけ……、脇に野菜とディップが添へられてゐた。私たちは揃つて白いエプロンをつけて……笑つてしまひさうになり、こらへる。別にをかしくもないが——眞面目すぎると、いや、普段してもゐないことをするつて、こんなにをかしいんだ。
彼がフォークで肉を突刺すのを見てから、私もそれに倣ふ——まるで毒見をさせてゐるやうだ。
「秋ノ下さんは……出版社の總務なんですよね」
彼には派遣社員だと言つてゐない。出版社といつても小さい會社だし、業務も、總務と呼べるものでは——
「未世でいいですよ。それに、仕事の話はよしませうよ。私たち、遊びにきてるんだから。ね?」
彼の|募集要項《プロフィール》には、「趣味友逹」「遊び相手」「セックスフレンド」にチェックが入つてゐて——そんな話、興味はないはずだ。變な女に|體《み》を預けたくないといふのも分るし、話の合ふ相手とセックスするのは樂しい、それも分る。でも仕事の話はだめ……
「大學時代は、フットボール、でしたよね。今はなにかやつてらつしやるんですか?」
「いえ……、ジムに通つてる已外には、なにも」
「へー、ジム通つてるんだ。ふふ、男の人つて、體鍛へたがりますよね。健康的でいいですけれど」
「未世さんは……なにか?」
「あたしはなにも——食つて、寢るだけです!」
ちよつとまづかつたかな、と思つたが、もう、どうでもよい。等身大の男に觸れるにつれ、理想との|乖離《くわいり》がどうでもよくなつてきた。とりあへず今日はセックスしてくれるのだから、それでよい。よいのか? もう一度男を、晃代を見る。靑つぽい口元がどことなくセクシーで、よかつた。しかしこんな眞面目風な男が、私のやうな女と寢てくれるかどうか? 第一、今日初めて逢つたばかりなのだ——いや、いい、今夜はこれでよい。所詮私に、お高くとまつた演技など、できはしないのだ。媚を賣つても腹が立つだけ、棄てられたらそれまで、今までと同じ。|等身大《そのまま》で勝負する。
「お肉、これで足りますか? 私だつたら、二枚、いや三枚いけさう」
「……、さう、ですか? 追加しますか?」
「いやだわ、冗談よ、冗談ぢやないけど」
彼は私を見た。「ここが食べ放題、ファミレスなんかだつたらそれもいいんですけどね。メロンソーダなんか賴んぢやつて」
「未世さん……、あなた、醉つてるんです?」
「さう見えます?
大體、お酒がまだ來てゐないぢやない」
「……さうだ。きみ」
彼はウェイターを呼止め、ワインを持つてこさせた。
「乾杯しませう」
彼は言つた。
「私たちの出會ひに?」
「出會ひに」
ワインは苦かつた。がんばつてグラスを空にすると、途端に彼が注がうとしたので、手で制した。
「お氣に召しませんでした?」
「私、アルコールだめなのよ。一應、プロフィールには飮めるつて書いてるけど、それも甘いのでないとだめ」
「すみません、配慮が足りなかつた」
「いいのよ。酒の好みは、書いてなかつた」
私は自分のペースに醉つてゐる。
「……自宅でこつそりしてゐることはあるの?」
「え?」
「趣味はないかつて聞いてるの、プロフィールに書いてないね」
彼は考へる素振りをした。仕事が趣味だといふならそれでもいいが、この男は|仕事中毒《ワーカホリック》といふ風でもなかつた。
私は自分から明かすことにした。
「私、小說を書いてゐるの」
「……小說、ですか」
一億總メディア時代、三十代會社員が小說を書いてゐたとしても、なんら不思議ではない。問題は【どこまで】關心があるか、といふことだ。
「本當ですか。賞に應募でもしてゐるんですか」
「それどころか、出版してゐるの」
「え」
「電子書籍だけどね」
「ああ……。
私が見ても?」
「勿論よ。そのために公開してゐるんだもの」
彼はスマホを取出した。
「|秋下美代《あきしたみよ》よ」
私は囁いた。
ディスプレイの光が彼の瞳に反射する。ストアの畫面を開き、筆名を入力すると、ずらつと關聯書籍が表示された。ちよつと行儀が惡かつたが、私は身を乘出して言つた。「これよ」指を突出し、タッチする。商品ページが、讀込まれる——
その表題と表紙に、彼の|表情《かほ》がぎこちなく動いた。
「……」
「驚いた? かういふのは、嫌ひかしら」
「いいえ……いや……」
「讀む氣が起きない? ぢやあサイトにあげてる奴を讀めばいいわ。多少趣旨が違ふから。そしたらあなたも、ちよつとは見直してくれるかも」
私はサイトのアドレスを傳へ、彼は後で檢討しますと言つて、スマホを閉ぢた。
「素人でも稼げるジャンルつて、やつぱり十八禁なのよね」
結局|裸《エロ》が、高く賣れる。
彼は顏をしかめたまま、赤いワインを|呷《あふ》つた。
「僕がよく讀むのは……、純文學です」
「純文學」
「なにがをかしいんですか」
「何も。ただ、純文學つて、ジャンルが明確ぢやないぢやない。とどのつまり、複雜な人間關係が描かれてるつていふなら、あたしの小說だつて、それに入るかもしれない」
「それはない」
「どうして?」
「ポルノはあくまで、性描寫に主眼を置いたものです。純文學は、人間の……人生の苦痛や混沌に重きを置いたものです」
「心理描寫に重きを置いてるポルノだつて、あるわよ」
「ポルノはポルノです。性の……、捌け口だ」
「純文學だつてポルノだと思ふけどね」
何らかのプロパカンダ、もしそれが何らかの情を煽り立てるものなら、全部ポルノだ。でもそんなこと語るのも面倒臭くて、紡がなかつた。行間の讀める讀書家なら、これ已上の言葉は要らない。
「あなたはなにを書くの?」
「……僕は、なにも書きません」
「なにも? ほんとに?」
「……ほんとに」
「隱してるだけなんぢやないの?」
「……自慰なんて、誰にも見せないでせう? ……」
「でもそれが誰かの自慰の助けになるなら、いいんぢやないかしら」
「あなたは、さういふつもりで、書いてるんですか」
「樂しいから書いてるの。でも、消すのはもつたいないし、自分の書いたものがどう讀まれてるのか知るのは、面白いとは思ふわ。思はない?」
「思ひません」
「ふーん。……それがほんとだとは思はない。あなたは隱してる」
まるで祕密の性癖みたいに。實際書くこと、表現することつて性癖だ、さうせざるを得ないのだ。祕匿することで生れる絆もある、でもそんなもの、少しだけで良い、この男は混同してゐる、性癖は自分自身でないのだ、あくまで自分から搾り出した——
「作品はあなたそのものではないのよ」
「でも人々は、私を判斷するでせう」
「それはさ、何でもさうでせう」
私はスマホを指差した。
ナプキンを取つて、口を拭ふ。「行きませう」
「どこへ?」
「部屋に決つてるでしよ——取つてあるんでしよ?」
「……、あなたは、恥ぢらひがない」
「恥ぢらひ? セックスを遠慮するつてこと?」
彼は聲を潛めながら、「私たちは初めて逢つたんですよ」
「だから? あなた、セフレ希望なんでせう」
「すぐ……なわけではなくて……、勘辨して下さい、全く、だから厭だつたんだ……、僕はああいふ|サイト《ところ》、慣れてゐないから、あなたみたいに輕い人とは……附合ふつもりないんです」
ああそれ、私も思つてゐる、けれど、セックスするかどうかで判斷して欲しくないね。興味があるか、ないか、それだけなんだ。人間關係つて、そんなものぢやないの、興味があるだけましなんぢやないの。
エレベーターの鏡面に映つた私たちは、さながら不倫關係の同僚のやうだつた。何ならラヴホテルの方が良かつたか、と思つたが、彼が何も言はなかつたので、そのまま——さう、あなたみたいに輕い人、と罵りながらも、きちつと部屋まで取つてゐたのだから、ほんと、男つて。でも山羊座の男つてむつつりスケベださうだから、案外、そんなものかもしれない。——あ、さう、山羊座の男だつたな、と思ひ出す。
部屋に入ると、私はすぐシャワーを獎めた。スーツがしわになるから、とか何とか言つて。彼は二人きりになつても、|霸氣《はき》の無い顏をしてゐた。本當にやる氣がないんだらうか? しかし、肝腎のものが役に立たなかつたとしても、私は彼に樂しませてもらふ氣でゐた。
ベッドでぼーつとしてゐたら、彼が出てきた。バスローブは羽織らずに、タオルで股間だけ隱してゐる。ジムで鍛へてゐると言つた通り、はつきりと浮び上つた胸板や腹筋があつた。
「良い體してるわね」
シャツのボタンを外しながら……「逃げないでね」
「逃げませんよ。ここまで來たら……」
私が浴室からあがると、彼はベッドに橫たはり、本を讀んでゐた。
「純文學?」
「……」
サイドテーブルにはスマホが伏せられてゐる。
私は輕く髮を乾かして、彼に倣つてタオルを體に卷附け、ベッドに滑り込んだ。
「……あなたが小說に書いてゐることつて、全部本當にあつたことなんですか」
「野暮なこと聞かないでよ」
私は彼の唇にキスをした。薄くて柔らかくて、女の子の唇みたいだつた。
首筋に顏を埋めながら、私は氣になる部分について、笑つた。
——まだ一時だつた。二人して餘韻に浸つてゐた——といつても、私は滿足してゐなかつたが。すべきこともしてゐなかつた。しかしながらよく仕へてくれたと思ふ——望んでもゐないセックスにしては。
「どこまで書くんですか。……僕のこと」
枕の位置を直してゐると、彼が言つた。
「“にんじんみたい”つてこと? いやね、今夜のことなんて、平凡すぎて書けないわ」
「平凡? ……」
「でもどんなに書き古された夜も、世の男性諸君は、知りたがるの。ああ、私、どれだけ似たやうな夜を書いたかしら」
「書かないで下さい、僕のこと、」
「何もありのまま書かうつていふんぢやないのよ? 脚色するわ。でも、私と寢た男つていふのは、自意識過剩にも、自分と寢た夜のことだと思つてるの。笑へるでせう? ……」
實際に私はけらけらと笑つた。をかしかつた。ほんとに。皆が怯えてゐる、私に書かれること、自分が|發《あば》かれてしまふこと、公となつてしまふことに。
「約束はできないわ、だつて、あなたも書いてるなら分るだらうけど、私が見聞きしたこと、全部私のエッセンスになるんだもの。一々その元があなたかどうかなんて、知れないわ」
「……」
彼は起上り、呆然としてゐた。その通りだと思つてゐるのかもしれないし、どう釘を刺せるか考へてゐるのかもしれない。しかし|藝者《ひと》の口に戶は建てられない、これも本當に。
私は彼の濕つた背中を撫でながら、言つた。
「ぢやあ、あなたが私を書いたら」
「え?」
「あなたが書いたら。今夜のこと」
「そんな……、無理ですよ、といふか、書きたくありません」
「どうして? 恥づかしいから?」
「書くことに意味が無いからです」
「執筆の練習だと思つてやりなさいよ、騙されたと思つて。あなた、日記をつけたことがないの?」
「練習ならもつと良いことを書きますよ」
「……純文學つてのは、人生の苦惱と、混沌を書くんぢやなかつたつけ?」
私は笑つた。彼は|俯《うつむ》いた。私の書いてきたものは私の傷も孕んでゐる、確かに書くのは氣分が惡かつたが、それも「作品」として一應の完結を見ると、寧ろ晴れやかな、一番の誇りになつた。私が最初に書籍化した——秋下美代の處女作は、初めての戀愛關係について書いたものだつた。さうだ。今となつては靑臭く感じる部分もあるが、私の代表作には變らず、曝け出すことの原點は、いつでもそこにあるのだ。
「題材にするには、あまりにも下劣でつまらなすぎる」
「ええ、出會ひ系で出會つた男女が、會話もそこそこに、セックスするだけだもの。もし物語が發展するとしたら、その先だものね。まあ、ポルノとしちや充分なシナリオだけど。
でも、それを面白くするのが、作家の|腕の見せ所《しごと》なんぢやないの」
彼はふはりと、ベッドに倒れた。私に背を向け、膝を抱へてゐる。
「ねえ、あなたはどんなもの書いてるの。見せてよ」
「もうやめませうよ、書き物の話なんて……」
「あなたが振つたのに」
「僕は、このありのままの夜を、書かないで下さい、とお願ひしたんです」
「はいはい。なるべくさうするわ、なるべくね」
どうせあんたのことなんて誰も氣にしやしない、私が大物になつたとしても、|一時《いつとき》の笑ひ|種《ぐさ》。私の物語を通り過ぎていつた男たち、今頃何をしてるだらう、思考にぼんやりかすめる。きつとかはいい女を腕に抱いてゐるだらう、この時間なら。何度も經驗した夜が私のものになつて、私は作品が增える度に滿たされて、その一つ一つに、どんな夜がこめられてゐるか、思ひ出すことができる——いや、細かい部分の|描寫《こと》なんて、忘れちやつてるけど。私の「エッセンス」といふのは、現實——記憶の再現ではなく、ぼんやりと腦に見える虛構を再現するための、道具箱だ。男たちは生きてすらゐない、私が作家だと知つた途端に裸足で逃げてく男たち、臆病者。たまに「俺のことを書いてくれ」なんて男もゐるが、さういふのに限つて平凡な、滅茶苦茶なセックスをしていく、書けといふならお前が書いてみろ、自分自身を。自分の中に眠る雄を。自分のすがたを實直に表現できてこそ眞にすぐれた雄、つまりは〈英雄〉だ——そして英雄は、何も男でなくてもいい。
「おやすみよ。晃代さん」
さういへば初めて名を口にした、この人はいくらか呼んでくれたのに。もちつと呼べば良かつたな、と思ふ。もしこれから緣があるなら、積極的に呼んでやらう。私はついあんたとかあなたとか呼んでしまふ、長く續いた附合ひが無いからか。
「僕が書いてゐるのは、ファンタジーなんです」
「ああ」讀んでゐるものが、書いてゐるものとは限らない——
「御姬樣の婿探しがメインテーマなんですけど……、をかしいでせうか?」
「なんで? 面白さうぢやない?」
「同ジャンルだと書いてゐるのは女性ばつかりで……」
「ばつかねえ。そんなこと、氣にしてゐるの」
「いや……」
「いいぢやない、その婿候補、男のあんたから見たらどうなのか、是非讀ませてよ」
「でも主人公は女性なんですよ。僕の『視點』なんて……」
「そんなことどうでもいいぢやない、要は話が面白いか、あなたが書いてゐて面白いかなのよ、晃代さん」
「……さうですね、さうかもしれません……」
「……さうねえ、いいこと考へた、あなた、私と一緖に書きませうよ、同じテーマで。で、見せつこするの。きつと面白いわ」
「ええッ」
「期限は……、さうねえ、一箇月にしましよ。短篇か長篇か知らないけど、ちよろつと見せてくれるだけでいいわ。私は讀切りが得意だから、あなたにはちやんとした作品を讀ませられると、約束するわ」
「でも大變ぢやないんですか、あなたには新刋があるし、」
「いやね、常にネタがあるわけでもないのよ、私は今書きたいものを書くの。それとも、あの夜のこと、書かせてくれるのかしら」
「……」
「とにかく約束よ、書きなさい、いま、すぐ」
それで話は終つた。
彼はサイトの小說を讀んでくれたやうだ、電子書籍も、一册だけ。感想をサイトのメールフォームからくれた。豫想通り、思ひの|外《ほか》酷いものではなかつた、心理描寫が緻密で參考になつた、といふことが書かれてゐた。やはり讀者から感想をもらへると嬉しいが、とくに書き物をしてゐる人間——それも知つてゐる人間から感想がくると、悅びも|一入《ひとしほ》だつた。その實、私が讀んで欲しかつたのは、私の糧になつてくれた男たちかもしれなかつた。素材になつた男に讀ませたいなんてをかしいだらうか、それも時折こつぴどく描寫してゐる相手に。まあ、私は氣にしない、あれは彼らであつて、彼らでないから。だからこそ彼らは感想をくれるのだし、私はまだ彼らを愛せるのだらう。さう、愛してゐる。ともすると、小說とは熱烈なラヴレターなのだ。
私は動畫を開いてゐたタブを閉ぢ、テキストエディタを起動した。宛名はいつも同じ、「小說.txt」。バックではダブルステップがビートを刻んでゐる。
さーて、何から書かうか。まづ私は「御姬樣」を夢想し、いきなり彼女が、男の【上】にゐるところを想像した……、さうだ、この御姬樣は裏切りの執政とできてゐて、結婚しろと迫られてゐるんだ。つまり婿探しはポーズだけで、表では隣國の美男子らと|微笑《たの》しく|談笑《おちや》をしてゐるが、裏では四十も過ぎたをつさんに|汗《はぢ》を搔かされてゐるんだ……、ちよつと御姬樣にはかはいさうだが、さういふ話を思ひ附いた。彼は、晃代は|倦厭《けんえん》しさうではあるが、私にはかういふ話しか書けないのだ。よし、これで書かう。私はいつも、|科白《せりふ》から書く。そして全體像が浮び上る……、
「はあ。高貴な王子樣方にはあなたの眞のお姿を知つて頂いて、それでも『世話したい』とおつしやられるのでしたら——これはもう他にない良緣といふこと、違ひますか?」
「あ、あなたのやることは實に、實に卑劣極まりない、仕打ち……」
「しかしながら、誠の性質といふものを僞つて婿入りさせるのは、どういつた心持でせう?」
「わた、わたくしはこんなこと……ぐう……」
そろそろバケツがいつぱいに……