小說(2018年作)

女になる夢

公開:2022年5月8日

初版:2018年12月11日

著:絲

適用:CC0[著作權抛棄]

附錄:『女になる夢』後書

注意事項

本文

「あれ」

 暫く聯絡がなかつた友人の——名前の下の、薄い番號が、見知らぬ番號になつてゐた。——電話番號、變つた? やつぱ引つ越したのかな? 彼は、環境の變化があつた、とこぼしてゐた。そのために逢ふのは難しいと。——彼とは、一年と四箇月逢つてゐない。さう、最後に逢つたのは昨年の|八月《なつ》——そこで、留守電メッセージが入つてゐる事に氣附いた。珍しい——こんな機能、一度も使つた事ないのに。私は違和感のある心持で、再生ボタンを押した。こもりがちな、數箇月ぶりの彼の聲がきこえてくる——いやにどきどきする。

「ああ、あのなあ、イト——と——今、仕事やめてきたところだ。それからなあ——性別が變つて、男から女になつた」

 ——は?

“男から女になつた”——仕事をやめた——てつきり引つ越しのメッセージかと思つてゐたのに——私は信じられなかつた。“彼”が!? 私の好きな“彼”が!?

 ——急速に氣持が冷めていく氣がした。いや、私の中の“彼”は、“彼”だし! いきなり“彼女”と言はれても——どう扱つていいか分らなかつた。そして、“彼”の中にそんな葛藤があるとは、思ひもしなかつた。いつから? 何で? そんな素振りなかつたぢやない? ——といふか、“男”を謳歌してゐたぢやない!? あんたの立派なペニスは、“女好き”はどうなつたの? またセックスできないの? シラユキさん……

 私は“彼”と寢そべつてゐた。——何も變る|事《ところ》がない。私の中ではどの男より男らしい男だ——私はまだこの人が好き——でもそれはどうなの? この人を“男”と見る事はいけない事なの? ——もう何をどう感じていいのかも分らなかつた。——だつて、さう感じちやふものは仕方ないぢやない? どうして? いけない事? |好き《をとこ》と感じる事は不敬? ……

「——それで、シラユキさんは、好きな性別は、どうなの? 見た目的な“男”が好きなの? “女”が好きなの? 嗜好に變化はあつたの? ……」

「……」

「つていふか、戶籍は變へたの?」

「いや」

“彼”ならば——突つ込んで聞いても構はないだらうと、私は浴びせかける。

「世間の人には“トランスジェンダー”つて言はれるんだね」

 さう、トランスジェンダー。まさかこんな|身近《ところ》で。でも戶籍がそのままならば、明かさない限りさうは見られないだらう。

「トイレは? 風呂は? ……どつち入るの? ……あのね、『ヒイロネット』つていふサイトにはね、トランスジェンダーのインタビューとかたくさん載つてるんだけど、面白いよ」

 戶籍も、トイレも、風呂も、そのインタビューから得られた視點だつた。今日から女になります、といふのは、さう簡單なものぢやない——私たちはかなり日常的な部分で、性別を問はれてゐる。“彼”が【本質的に】女として生きるなら——どうなつていくのだ? そもそも「女」つて何なのだ? 彼は何をどう「女」と感じてゐるのだ? その、“男”と“女”の|境目《ちがひ》つて何!? 女のトイレ使へば女なのか? 司法が認めれば女なのか?

 ——もう、わけが分らなくなつてきた。當人でもないのに、こんな事で惱みたくない。

「ねえ」

 私は當の、大問題を言つた。

「私は……シラユキさんの事、好きでいいのかな?」

「……まだ好きで、ゐてくれるんか?」

「だつて、私の中では……駄目かな?」

「いいんよ、どうでもいいんよ……」

 彼は腕を廻し、私を抱いた。

 彼の見えぬ闇の中で、私は泣いた。

 私は彼の特質を利用して好きなのだけれど、それでいいのかな。彼はどう【扱はれたい】のかな——彼が私といふ女を叩き出すまで、彼は、私の中の一番の男。

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